運営者について

運営者のプロフィール

私は、40代後半にうつ病を発症しました。
何のために生まれたのか、自分の強み、特技は何か… みなさまも一度は考えるであろうテーマに思い悩み、自分らしく生きたい!けれども収入面が不安で行動に起こせない… そんな思考ばかりに脳内は占領されていた時がありました。

鬱病は怖い。
ある日、風呂に入っていると「死んだら楽かも?!」という考えが突然浮かびました。
自ら死のうとすることは、痛い、苦しいと思うのですが、その時は「死」が一番「楽(らく)」であり、この状況を終わらせるための素晴らしい方法だと思いました。一切、恐怖は感じませんでした。むしろ、早く楽になりたいという気持ちの方が強かったと思います。

どうしたものか?
どうやって実行に移そうかと風呂につかりながら「道具」を探す。けれども、手軽に死ねるような道具は視界には入りこんできませんでした。

恐らく、そうやって「道具」を探したのは7秒くらいだと思います。
道具がないと思い、ふと我に返った時、とても恐ろしくなりました。いつでも「長生き」こそ私の願いだったのに、自ら死のうとしていることに恐怖を感じました。
この体験をするまでは、自ら死ぬくらいの勇気があれば、何でもやり直せる!と、自殺のニュースを見るたびに思っていましたが、この考えは間違っていました。

「死」こそ最善の方法で、そこには恐怖や苦しみは感じない瞬間があり、やっと答えを見つけたかのようなきらめきや腑に落ちた感があるのです。
「魔が差す」とはこの時のことで、私の場合、ほんの7秒程度。
この時に「道具」が見つかっていたら、ためらうことなく自然に、あちらの世界に飛び込んでいたかもしれません。

そんな経験をしても、鬱病は良くなりませんでした。

うつ病には散歩がいいと聞きます。
この日も、近くの公園に散歩に行きました。そこで少年野球の試合が行われていました。
炎天下、近くのベンチに腰を掛け野球を見ていました。

そんな時、ふと、心の奥底から湧き上がるエネルギーを感じました。
少年野球を見ていて、自分の幼少期を思い出したのです。

自分もそうでしたが、子供の時は、明日は授業があるからとか筋肉痛が辛いからとか風邪を引くから汗はこまめに拭こうとか… そんなことを考えて野球や遊びはしていませんでした。
目の前の遊びに夢中で後のことなど考えず楽しんでいました。
あのときの情熱というか、一心不乱というか、他のことは目に入らないというか…
そういう「こころ」を思い出さなくてはいけないような気がしました。

公園に散歩に来なくても、いつでも思い出せるもの… そんなアイテムが欲しかった…
それがジオラマだったのです。
自分の懐かしい思い出を記憶によみがえらせるアイテムを机の端に置きたかった。

そうすることで、いつでも自分の幼少期を思い出せ、その当時の情景から、心の奥底にエネルギーを湧きあがらせることができるのではないかと考えました。
簡単に言ってしまうと情景模型は、私のエネルギーを燃やすための着火剤です。

こうした経験があり、私は懐かしい情景模型ばかりを作るようになりました。

運営者のバックボーン

私のルーツは小布施という小さな町です。
長野県の北部に位置する小布施は、葛飾北斎が晩年訪れ岩松院というお寺の天井に「八方睨み大鳳凰図」を残していきました。
長野オリンピックで有名になった長野市から17Kmほど離れた小布施は、栗菓子で有名な町です。

古い倉庫から栗菓子を作るための木型が出てきましたが、これは私の祖父が持っていたものです。祖父が婿として小布施から隣町の須坂にやってきました。
そこで、父が生まれました。父は、母親と結婚し、私が生まれました。
私は、須坂で育ちました。

岩松院の「八方睨み大鳳凰図」は小学生が写生大会に行くお寺でした。
私も行きました。

当時は、その天井の絵を見るために畳に寝ることが許されていました。
仰向けになり見上げる「八方睨み大鳳凰図」は、寝る場所がどこであっても鳳凰と目が合います。これが八方睨みという名前の所以です。

中学の時は図鑑で「八方睨み大鳳凰図」を見ながら模写したことがあります。
私にはとても親近感のある絵です。

そんな私の幼少期には、私の作っているような家屋がたくさんありました。
私は、そうした記憶と思い出を情景模型にして作っています。

作品をアップすると、たまに訊かれること

『プロの方ですか?』

先日もそういった嬉しい書き込みがありました。

今までは、どのようにお返事してよいのかわかりませんでしたが、最近、自然とこんな言葉が出てきました。

「プロを目指すという目標は無いのですが、執筆やレトロな空間の監修とか、そういうことを含めた取り掛かりとして、作品作りを大事にしています。これからもどうぞ宜しくお願い致します!」

これが、今の私の素直な気持ちなんだと思いました。
好きなことの延長で、それがお仕事になることは、私の理想です。

今まで、このような言葉が出てこなかったのは、ジオラマ歴が2年(2021年現在)ほどという経験の浅さだと思います。長く続ければそれだけで良いというわけではありませんが、制作歴が2年なんて、初心者もいいところ、生意気なことを言ってはいけないと、そんな風に自分を縛っていたのかもしれません。

観察力と妄想

師匠の教えによるところがとても大きいのですが、私自身、どうしてこんなにも細かいところに目が行くのか? そんなことを考えてみました。すると思い当たる節がありました。

それは、旅行などで移動する最中、乗り物内ではほとんど眠らないことです。
眠らずに、その土地、その土地の風景を眺め、通り過ぎる景色や地元の人を見ながら、どんな生活をしているのかを想像するのが大好きなのです。

また、旅行先では建物の細部をよく見ます。
神社仏閣に限らず、お店や民家といった塀や屋根、釘の打ち方、道路の石畳…
どんな人がどんな思いで、どのようにして作ったのかを考えながら見ています。
そのことが、埃のたまっているところ、サビているところといった情報も自然にインプットしたのだと思います。

ジオラマは、観察と妄想で、こだわった作品を好き勝手に創作できます。
また、自分の費やした時間や労力を加味して、好きな値段をつけて販売することができます。

ジオラマの世界には、そういう制作者側の労力を見抜けるお客様がたくさんいます。
気に入った作品は、値下げ交渉されることなく売れていきます。
作品作りから販売まで、すべて自分だけで決められるので、私の性格にはあっていると思います。

鬱(うつ)に悩み、師匠との出会いがキッカケとなり、ジオラマを作り始めました。
そう考えると、「生きがい」や「やりがい」は、どこで見つかるかわからないものです。

私は、前述の通り、ジオラマ歴が浅いです。
謙遜ではなく、テクニックを持ち合わせているとも思っていません。
見よう見まねで、自分にストックされた情景を頭の中で組み立てて、アウトプットしているだけです。

もっともっと表現の幅を広げ、深めたいと思います。
そのためには、観察が大事です。
サビはどのように広がり、どの部分が濃くて薄いのか?
そんなところまで観察して、作品に取り入れていこうと思います。

受賞歴

秋の夕暮れ・昭和の駄菓子屋さん」ホビコム月例コンテスト(2020年9月応募分)にて入賞いたしました。作品の詳細はこちらです。

販売中の作品

一つずつ手作りで制作をしています。
その都度、構図を見直したり、設置アイテムを追加したり削除したり…。
同じものは一つとしてありません。

また、すべてを接着して「懐かしいでしょ?…ね?!!」という感じで、私の制作した情景を押し付けたくはありませんので、接着をしていないアイテムもございます。店名の入った看板や車、時にはガードレールや10円ゲーム、販売機といったアイテムを未接着のまま販売しています。

懐かしい情景は、人それぞれ違うものです。
自分がハマるツボを、そうした未接着のアイテムを並べ替えることで見つけていただけると嬉しく思います。

こちらから現在販売中の作品をご確認いただけます。
売り切れの場合は、ご容赦ください。

プライベート

情景づくりは仕事であり趣味であり、趣味であり仕事であります。
どちらに比重があるとはいいがたく、人生の充実も金銭的な部分でも満足しています。

とはいえ、ずっと情景模型を作っているわけではなく、いろいろなことをしています。
私の人となりを知っていただくには、私の黒い部分も余すところなく書き綴ったブログ「オノマトペ」をご覧いただいた方が早いと思います。

オノマトペ』は → https://be-interested-in.com/onomatopee/

会社員としての収入だけではなく、これからはいろいろな収入源があるべきだという考えのもと「ノマドの窓」という、ノマド生活に移行するためのヒントサイトも運営しています。

好きなことがそのまま生活するための収入になるということは素晴らしいことだと思います。そんな生活に移行するために、私が実践していることを綴っています。

ノマドの窓』は → https://nomadnomado.net/