日立製作所はメタバース上に原子力発電所を再現し、作業員の訓練を進めている。ゲームやエンターテインメントの印象が強いメタバースだが、人手不足などにより現場での導入の必然性がある領域でも普及が進む。

日立グループはメタバースの原子力発電所を訓練の場にする。クレーンや作業用ロボットの遠隔操作も確認する
日立グループはメタバースの原子力発電所を訓練の場にする。クレーンや作業用ロボットの遠隔操作も確認する

 「再稼働を控えた、ある現実の原子力発電所を仮想空間に3次元で再現した」

 こう話すのは、日立製作所傘下で原子力発電所のメンテナンスなどを担う日立プラントコンストラクションの屋代裕一主任研究員だ。

 米メタ(旧フェイスブック)のVR(仮想現実)ゴーグル「クエスト・プロ」を装着すると、仮想空間に再現された原子炉建屋の内部に複数の作業員が入ることができる。ここで定期点検時のクレーンの動作などを丹念に訓練する。2023年4月から現場に導入する考えで、年間数百人の作業員がこのプログラムを利用する可能性もあるという。

 東日本大震災の後に多くの原発が稼働を停止し、定期点検の作業を実地で学ぶ機会が長期間失われた。追い打ちをかけるようにベテラン世代の作業員の定年退職も迫る。原発ごとに異なる点検作業のノウハウを次世代につなぐ必要が生じていた。

 日立グループは紙のマニュアルに加えて5年間で500本前後もの解説動画も用意した。だが、動画だけではクレーンの動作でカギを握る空間認識のコツまでは伝承できない。

 定期点検では精緻なクレーンの動作が必要になる。原子炉建屋内の限られたスペースで、数多くの機器を順番通りに取り外し、定められたスペースに狂いなく仮置きすることが求められるためだ。もし仮置きした場所が間違ってしまうと、工程をやり直す可能性まで出てきてしまう。

 そこで、仮想空間に原子炉建屋を再現し、動作を習熟できるようにした。「消火栓設備の開閉を妨げないよう、消火栓の扉が全開した状態から80mmの位置に部材を置く」など、作業員はクレーンの細やかな挙動をメタバース上で訓練し、実地の定期点検に臨む。

 神戸製鋼所傘下でプラントのメンテナンスなどを手掛けるコベルコE&Mも技術伝承にメタバースを導入した。VR系スタートアップのイマクリエイト(東京・品川)と提携してVR溶接トレーニングサービスを開発した。メタバース空間で職人技である溶接工程を学べるようになった。150万円の販売価格で外部にも提供し、溶接業者などからの引き合いが数百件に上るという。

コベルコE&MのVR溶接トレーニングの様子。実地訓練以上の習熟効果を確認できたという
コベルコE&MのVR溶接トレーニングの様子。実地訓練以上の習熟効果を確認できたという

 こうした訓練アプリは自社開発であり、「一般的に、開発費は全体で1億円前後になることもある」(イマクリエイトの山本彰洋CEO)という。だが、紙や動画のマニュアルよりも分かりやすいため、身体感覚を使って習得する必然性がある領域では、今後も広がっていきそうだ。

ゲームエンジンに熱視線

 産業用メタバース普及のカギを握るのは、3次元空間の表現を支えるゲームエンジン(ゲーム制作ソフトウエア)だ。今、産業界で勢いがあるのはゲーム開発エンジン大手の米ユニティ・ソフトウエア。スマートフォンゲームアプリ「ポケモンGO」や「ウマ娘 プリティーダービー」などの大ヒットゲームの開発にも使われたとされる。独BMWやホンダも利用するほか、日立グループとコベルコE&Mも利用した。

 なぜゲームから遠い産業用途でユニティが開発したエンジンが広まるのか。3次元をリアルタイムでレンダリング(描画)する能力の高さだけでなく、ユニティで開発すればスマホからPC、VRゴーグルまでデバイスを問わず対応できることも大きな理由だ。さらに、ユニティがアクションゲームで培ってきた、物体の挙動を物理的にシミュレーションする能力も、デジタルツインで役に立つ。

 ユニティ日本法人であるユニティ・テクノロジーズ・ジャパン(東京・中央)の大前広樹社長は「国内では産業界向けのコンサルティングや開発などの事業が特に成長株」と話し、産業界向けの人材採用を拡大させているという。

 設計や製造、施工管理、販売にメンテナンスと、それぞれの工程をメタバースで展開したりシミュレーションしたりすることで効率化を図る動きが広がる。装置などの設備や多くの人材を抱えなければならない製造業にとって、メタバースは「必然性」に満ちた存在ともいえる。

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