関西のエネルギー支え100年 電力王・福沢桃介が木曽川に築いた水力発電

大都市圏の関西の電力は、福井県の原子力発電所をはじめ周辺地域に立地する多くの電源によって賄われている。長野県と岐阜県を貫く木曽川流域の水力発電所もその一つ。木曽川の電源開発は約100年前の大正後期、実業家の福沢桃介(ももすけ)(1868~1938年)によって進められ、戦後は関西電力に引き継がれた。現在、水力発電は安定性に優れた再生可能エネルギーとして見直されている。

夏も涼しい発電所

訪れた木曽川の激流は白い渦となって岸の巨岩をぬらしながら滔々(とうとう)と流れていた。島崎藤村が小説「夜明け前」に描いた自然の厳しさ。そこにはまた、たゆまぬ人間の営みがあった。

「恩河深而無底(河から受ける恩は深くて底がない)」

実業家、福沢桃介が大正8年7月、木曽川で最初に建設した賤母(しずも)発電所(岐阜県中津川市)に後に掲げられた扁額(へんがく)には、本人の力強い揮毫(きごう)がレリーフ(浮き彫り)にされて残る。

一方、今年12月で完成100年を迎える読書(よみかき)発電所(長野県南木曽(なぎそ)町)は当時流行のアールデコを取り入れ、円形の窓などが特徴的だ。完成当時から使われている水圧鉄管を通って川の水が発電所内に流れ込み、ごうごうと音を立ててタービンを回している。水を通す巨大な弁のある部屋は、水の冷たさで夏でも涼しい。

関電は木曽川で、桃介の建設による7カ所を含む発電所計34カ所を運営、最大で原発1基に相当する約108万キロワットの出力がある。令和4年7月に発電を開始した南木曽吾妻(あづま)発電所(南木曽町、出力640キロワット)もその中に含まれている。

木曽川で発電された電気は送電線で関西に送られている。読書発電所では関電東海支社の担当者が「現在は発電所内に作業員は常駐せず、大阪市内の総合水力制御所で監視しています」と話した。同制御所では木曽川など東海のほか北陸などの水力発電所を監視・制御しているという。

電源開発の活力

「電力王」とも呼ばれた福沢(旧姓岩崎)桃介は慶応義塾で福沢諭吉に見込まれ、諭吉の娘、ふさと結婚して福沢家の養子となった。明治30年代の株取引で蓄えた資産を投じたのが電力事業だった。

明治中期まで動力の主役は蒸気機関だった。明治末~大正には近代産業の成長に伴い、都市部を中心に電気の需要がふくらんだ。裕福な家庭には扇風機やアイロンなど電化製品が登場。電気は小さな火力発電所でつくられていたが、停電が多く、安定した電源を求める声は高まっていた。

石炭による火力発電は、石炭の採掘や輸送に費用や手間がかかり、豊富な水と河川の高低差を利用して効率よく発電できる水力が注目されていた。

桃介は、水量が豊かで流れの速い木曽川に狙いを定めた。名古屋市にあった「名古屋電灯」を買収して電源開発に乗り出し、大正10年2月には3社合併により誕生した「大同電力」の社長に就任、次々と発電所を完成させた。

「福沢桃介記念館」(南木曽町)によると、桃介は水利権の問題で住民と対立。藤村の兄で住民代表として交渉した広助は、桃介の脅迫まがいの「強引なやり方」と寄付金などの「巧妙な工作」に譲歩を余儀なくされたという。また桃介は12年9月の関東大震災で資金難におちいり、みずから渡米して資金調達に奔走した。

「東邦電力」を率いて九州から名古屋に進出したもう一人の「電力王」、松永安左エ門は、桃介について「人物のスケールが大きいだけに、細かい仕事には向かない。水力開発に興味があり、一軒一軒に電気を売るようなことは不得手」と評している(「電力の鬼~松永安左エ門自伝」)。

このため、松永が送配電工事を進めた大正10年代まで名古屋地区では停電が解消していなかったという。販売では必ずしも成功したとはいいがたい桃介だが、大胆に電源開発を推進する胆力を持った人物だったといえそうだ。

こうした曲折を経て、13年12月、日本初の本格的なダム式発電所となる大井発電所(中津川市)が完成。前年には、電力不足に悩んでいた関西に電気を送る全長238・7キロの長距離送電線も敷設し、木曽川流域は日本を代表する電源地帯の一つに変貌を遂げた。

今も生活支える

大同電力は戦時中の昭和14年に他電力とともに国策会社「日本発送電」に吸収。戦後の26年、電力再編で地域独占による9社体制(後に沖縄電力を入れて10社体制)が整備された。その際、「発電所は、発電した電力が消費されている地域の電力会社の所属とする」との方針が採用され、木曽川の水力発電所は関電に引き継がれている。

関電は木曽川だけでなく北陸でも「黒部ダム」(富山県立山町)などの水力発電所を多く所有。水力が電源構成に占める割合は14%(令和3年度)で、火力の50%、原子力の36%に続く主要電源となっている。全国では水力の割合は7・5%にとどまる。資源エネルギー庁は「水力は太陽光や風力など他の再生可能エネルギーが気象条件に左右されるのに比べ、渇水を除けば自然条件によらず安定して発電ができる」と指摘。今後は大規模開発が困難なことから、既存設備の効率化、中小規模水力の新規開発を掲げる。

昔から変わらない木曽川の流れ。桃介が情熱を傾けた水力発電は、遠く離れた関西の生活を今も支えている。(牛島要平)

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