FASHION / TREND&STORY

Happy Birthday イヴ・サンローラン! ファッション界にもたらした7つの革命。

ココ・シャネルは女性に自由を与え、イヴ・サンローランは女性に力を与えた」というのは、イヴのパートナー、ピエール・ベルジェによる二人の偉大なるデザイナーへの賛辞だ。この言葉通り、シャネルによる「女性解放」を、女性のスタイルに「マスキュリン」という新しいキーワードを与えるなどして次の次元に高めたイヴ・サンローラン。生誕83年となる8月1日の誕生日を記念し、彼がファッションにもたらした7つのイノベーションを振り返ろう。 ※女性のスタイルに革命をもたらした“モードの帝王”イヴ・サンローラン の名言集はこちらから。

Photo: JEAN-PIERRE MULLER/ Getty Images

「天才」「ボーイ・ワンダー」「ファッション界のパイドパイパー」──20世紀におけるもっとも偉大なデザイナーの1人、故イヴ・サンローランには、さまざまな形容詞が存在する。2008年6月1日、73歳で逝去したあとも彼のヘリテージが色褪せることはなく、むしろその評価は高まる一方だ。

クリスチャン・ディオールでの初コレクションとなった「トラペーズ」から、自身のブランドの代表作となった「ル・スモーキング」、シアーなブラウスに多様性を讃えるアティチュードまで、イヴは先見の明に恵まれた革新者だった。その証左に、1983年、存命のデザイナーとして初めてイヴの功績を讃える回顧展がメトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートで開催された。

8月1日はイヴの生誕83年となる誕生日。これを記念し、イヴ・サンローランというデザイナーがファッションにもたらした7つの革新を改めて讃えよう。

1. 合理的で美しいシルエット。

1958年、ディオールのクリエイティブディレクター着任後すぐに発表されたイヴ・サンローランによるオートクチュールコレクション。Photo: AFP Contributor/Getty Images

クリスチャン・ディオールは、1955年にイヴのスケッチを初めて見たとき、その才能に慄き、ただちに彼を雇うことを決意。そしてその2年後に急逝したディオールの後を継ぎ、イヴは21歳という若さでクリエイティブ・ディレクターに就任した。彼のデビューコレクションとなった1958年春の「トラペーズライン」は喝采とともに受け入れられ、ファッションの潮流を変えるものとなった。先代ディオールのデザインに比べて、生地の用尺が少なくて済む軽やかで流れるようなイヴの服は、まさに現代女性が求めるワードローブだったのだ。

2. 女性のための男性服。

スモーキングジャケットによって、従来の女性らしさに新たに「マスキュリン」という価値を付加した。Photo: Reg Lancaster/Getty Images

イヴが「ル・スモーキング」を発表した1966年当時、女性が人前でパンツを履くのは物議を醸す行為だった。当時のニューヨークの名店「ル・コーテ・バスク」に、ソーシャライトのナン・ケンプラーがイヴ・サンローランのタキシードスーツを着て訪れたところ、入店を拒まれたというのは有名な話だ。「ル・スモーキング」は、当時も今も、本質的には反骨精神やアンドロジニー、グラマーさ、挑戦的な現状への挑戦を示唆するスタイルである。2008年に彼の共同創業者、ピエール・ベルジェが述べたように、「ガブリエル・シャネルは女性に自由を与え、イヴ・サンローランは女性に力を与えた」のだ。「女性にも男性と同じ基本的なワードローブを持ってほしかった。ブレザー、パンツ、そしてスーツ。これらのアイテムは非常に実用的だ。女性はこのような実用的なワードローブを求めていると思っていたが、その考えは間違っていなかった」サンローランは、1977年に『ザ・オブザーバー』紙のインタビューで、そう語っている。そして、カトリーヌ・ドヌーヴ、ライザ・ミネリ、ローレン・バコール、ビアンカ・ジャガーなどトレンドに敏感で勇敢な女性たちが、これらのスタイルを早くから取り入れていた。

3. アートとファッションを融合。

2002年のイブ・サンローランのランウェイには、1965年に発表された「モンドリアン・コレクション」にインスパイアされたルックが登場。Photo: PIERRE VERDY/AFP/Getty Images

AFP Contributor

現在では当たり前の「アート×ファッション」のコラボレーションを最初にやってのけたのが、イヴ・サンローランだった。彼はランウェイという舞台にアートを持ち込んだだけでなく、アートという世界にファッションをもたらしたデザイナーでもあった。フィンセント・ファン・ゴッホ、アンディ・ウォーホール、パブロ・ピカソ、アンリ・マティス、あるいはジョルジュ・ブラックといった巨匠たちの作品は、いつもイヴの創作意欲をかきたてた。中でももっとも有名なのは、1965年に発表した「モンドリアン・コレクション」だ。クラシックな60年代スタイルのシフトドレス6点からなる同コレクションは、オランダ出身の抽象画家であるピエト・モンドリアンが確立した「コンポジション」と、そこに込められたモダニズムの精神へのオマージュが込められていた。

4. 多様性を讃美。

1984年、ショーのバックステージでモデルたちとともに。Photo: AFP/Getty Images

今でこそ、ファッション業界に限らず世界のあらゆるところで人種やジェンダーなどの問題に対する議論が高まっているが、世界がまだ閉塞的であった80年代当時、イヴはランウェイショーに初めて、かつ、積極的に有色人種の女性モデルを起用することで、多様性への支持を表明したのだった。イマン、レベッカ・アヨコ、カトゥーシャ・ニアヌ、ダルマ・カラドなどが、サンローランのミューズ、そして常連モデルとして活躍した。イヴが亡くなったとき、ナオミ・キャンベルはこう述懐している。

「私はフランス版『VOGUE』の表紙を飾ることはできない。だって彼らは、黒人の女の子を使わないみたいだから。そうイヴに話したら、彼は『僕にまかせて』と言って、私を表紙に起用してくれた。彼のおかげで、私は初めて『VOGUE』の表紙を飾ることができたのよ」

5. 広告塔としてのデザイナー。

物議を呼んだヌード広告の翌年、イヴは再び自ら広告塔を務め、1972年のキャンペーンを制作した。Photo: Gunnar Larsen/Shutterstock

デザイナーが自身のブランドの広告塔を務めることは、今となっては珍しいことではない。中には、ジバンシィの広告キャンペーンに登場したドナテッラ・ヴェルサーチェのように、ほかのブランドの「顔」となることを厭わないデザイナーだっているほどだ。けれど、1971年当時は決してそうではなかった上に、ヌードで登場するとなれば、さらに考えられないことだった。しかし、イヴはそれをやってのけた。彼は、ジャンルー・シーフが撮影を担当した香水「YSL プールオム」のキャンペーンで、臆することなく裸でポーズをとったのだ。当時、この写真はあまりに挑発的すぎるとして掲載禁止とするメディアが相次いだが、彼はそれほどまでに革新的な存在だった。

6. 女性の性を解放。

1968年春夏コレクションより。Photo: Bill Ray/The LIFE Picture Collection via Getty Images/Getty Images

性の革命と第二波フェミニズム運動の最盛期だった1960年代後半、サンローランは当時の時代精神に対する独自のオマージュとして、シアーなオーガンザブラウスとシースルーのトップスを発表した。このコレクションは、エキシビショニズム(自己顕示主義)を表すものではなく、男女平等を主張するものだった。アメリカ版『VOGUE』のエディター・アット・ラージを務めるハミッシュ・ボウルズは、このコレクションをこう讃える。

「彼は、自身の世代をまたぐクライアントたちに、比類なき自信と無頓着なまでの華やかさ、下品ではない性的魅力をもたらした」

ランウェイには、ノーブラで際どいファッションに身を包んだモデルたちが登場し、性の自由という新しい時代のムードがあふれた。

7. プレタポルテの普及に貢献。

1969年、ロンドンにオープンしたブティック「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」の前でポーズをとるイヴとモデルたち。Photo: Beverley Goodway/Mirrorpix/Getty Images

オートクチュールがまだ主流だった1966年、イヴは自身の名を冠したプレタポルテのブティックをオープンした。この「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」は、パリのセーヌ川左岸のトゥルノン通り21番地に位置していた。オートクチュールの廉価版という位置付けではなく、イヴはプレタポルテラインを新しいアイデアの実験場と捉え、オートクチュールとは完全に別のコレクションを生み出した。そうして同ラインは大きな成功を収め、ファッションをオートクチュールサロンというラグジュアリーで特権的な世界から解放したのだ。この成功を受け、イヴは1968年にニューヨーク、翌69年にロンドンにもブティックをオープンしただけでなく、メンズ専門のプレタポルテ・ブティックもオープンした。

Text: Sam Rogers